« アッシリアの歴史 | メイン | アマ(亜麻、学名:Linum usitatissimum)は »

前田利長は上杉攻めを支援すべく

7月26日に金沢を出発。8月に入り山口宗永が篭る大聖寺城を包囲、3日で落城させると青木一矩の北ノ庄城を囲んだ。しかし、「大谷吉継の大軍が後詰でやってくる」という虚報(吉継自身が流したと言われている)に引っかかり、急いで金沢に引き返そうとした。

利長は途中軍勢を二手に分け、丹羽長重が篭る小松城に別働隊を送り込んだ。8月9日、別働隊に長重の篭城軍が襲い掛かり、別働隊を蹴散らした長重はさらに利長の本隊も襲い、大損害を与えた。こう着状態になったあと長重は和睦、小松城を明け渡した。辛くも金沢に戻った利長は大急ぎで軍を建て直し、9月12日に再度金沢を出発したが、結局関ヶ原には到着できなかった。この時、大聖寺城攻撃には参加していた弟の前田利政は、居城である七尾城に篭ったまま動かず、東軍には加わらなかった。利政はかねてより西軍への参加を主張していたものとみられ、結果的に領地没収の憂き目にあった。
スポット 香水 老人 グルメ アルバイト 料理 健康 飲料水 生活習慣病 癒し 教育 特産物 ステイ 旅館 しみ取り 介護サービス ケア 求人募集 趣味 生活習慣病 家具 わきが 生活雑貨 学習 健康食品 家庭教師 交通地図 美容整形 遊園地 審美歯科 増客対策 リラク しわ取り 調査 リフォーム 生活習慣病 育児 わきが 食品 通信教育 教材 教材 観光 ネイル 分譲 しみ取り 転職 養育 わきが 損害保険

伊予でも東軍についた加藤嘉明の松前城に対し、毛利軍が戦闘をしかけた。平安時代から続く名族で旧伊予守護家・河野氏当主であった河野通軌(河野通直の養子。実父は毛利氏重臣・宍戸元秀)を始め平岡直房・曽根高房ら河野氏遺臣、村上武吉・村上元吉父子ら伊予に縁のある毛利家臣が三津浜に上陸し、陣を敷いた。松前城に対し開城を要求したが、加藤家の留守居役佃十成らに夜襲を受け、村上元吉、曽根高房らが討ち死にし(三津刈屋口の戦い)、その後も毛利方が不利のまま関ヶ原での西軍敗北を受けて毛利軍は撤退、関ヶ原の戦いに乗じた河野氏再興はならなかった。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.benibana86.com/blog/mt-tb.cgi/1932

About

2009年05月29日 08:10に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「アッシリアの歴史」です。

次の投稿は「アマ(亜麻、学名:Linum usitatissimum)は」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35