2009年06月14日

アマ(亜麻、学名:Linum usitatissimum)は

アマ(亜麻、学名:Linum usitatissimum)は、アマ科の一年草。ヌメゴマ(滑胡麻)、一年亜麻、アカゴマなどの異称もある。

比較的寒い地方で栽培される。茎の繊維はリンネル(リネン)製品となる。アマはアサと間違えられることがあるが、アサよりも柔らかくかつ強靭で上等な繊維である。フランス語ではランと発音され、ランジェリーはアマの高級繊維を使用した女性の下着に由来する。また繊維の強靭性から、高級でない繊維はテントや帆布としてかつて広く利用され、大航海時代の船の帆布はアマの繊維であった。
ボディビルディング
芸術
原子力工学
グラフィックデザイン
楽譜
インダストリアルデザイン
太陽系
マラソン
風水
北海道
肥満
インディアカ
核医学
ゴルフ
性行為感染症
ポリマー
デング熱
電子工学
色素性乾皮症
農業工学

現在はアサがロープや麻袋などに使われるのに対して、アマは、通気性・吸湿性に優れて肌触りが良いことから織られて高級な衣類などになる。

古代ではカフカス地方から中東にかけての一帯を原産地としており、必ずしもエジプトが原産地ではなかった。

日本では、北海道開拓の初期に榎本武揚によって導入され、第二次大戦中をピークに繊維用として北海道で広く栽培されたが、化学繊維の台頭で1960年代半ばに栽培されなくなった。2000年前半に、種子を食用に利用するために北海道の一部で栽培が復活している。

種子からは亜麻仁油(あまにゆ、リンシードオイル)が採れ、これは食用や塗料・油彩に用いられる。

アマニ油 [編集]
アマニ油(亜麻仁油、linseed oil / flaxseed oil)は、成熟したアマの種子から得られる、黄色っぽい乾性油(空気に触れると固まる油)。食用のほか、油絵具のバインダーや木製品の仕上げなどに用いられる。

アマの種子を圧搾、又はこれをつぶして溶媒で抽出することで得られる。α-リノレン酸、ω-3脂肪酸をはじめとする不飽和脂肪酸に富み、栄養サプリメントとしても販売されている。栄養学的には 100 gのアマニ油には 450 kcalの熱量があり、脂肪 41 g、食物繊維 28 g、タンパク質 20 gを含む。

沸騰させたアマニ油は油絵具のバインダーや、「オイルフィニッシュワニス」として木製品や皮革の仕上げに使われる。加熱することでアマニ油は簡単に重合・酸化するようになる。

最近では、VOCを放出しない溶剤としてシックハウス 症候群対策の塗料に使われている。

2009年05月29日

前田利長は上杉攻めを支援すべく

7月26日に金沢を出発。8月に入り山口宗永が篭る大聖寺城を包囲、3日で落城させると青木一矩の北ノ庄城を囲んだ。しかし、「大谷吉継の大軍が後詰でやってくる」という虚報(吉継自身が流したと言われている)に引っかかり、急いで金沢に引き返そうとした。

利長は途中軍勢を二手に分け、丹羽長重が篭る小松城に別働隊を送り込んだ。8月9日、別働隊に長重の篭城軍が襲い掛かり、別働隊を蹴散らした長重はさらに利長の本隊も襲い、大損害を与えた。こう着状態になったあと長重は和睦、小松城を明け渡した。辛くも金沢に戻った利長は大急ぎで軍を建て直し、9月12日に再度金沢を出発したが、結局関ヶ原には到着できなかった。この時、大聖寺城攻撃には参加していた弟の前田利政は、居城である七尾城に篭ったまま動かず、東軍には加わらなかった。利政はかねてより西軍への参加を主張していたものとみられ、結果的に領地没収の憂き目にあった。
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伊予でも東軍についた加藤嘉明の松前城に対し、毛利軍が戦闘をしかけた。平安時代から続く名族で旧伊予守護家・河野氏当主であった河野通軌(河野通直の養子。実父は毛利氏重臣・宍戸元秀)を始め平岡直房・曽根高房ら河野氏遺臣、村上武吉・村上元吉父子ら伊予に縁のある毛利家臣が三津浜に上陸し、陣を敷いた。松前城に対し開城を要求したが、加藤家の留守居役佃十成らに夜襲を受け、村上元吉、曽根高房らが討ち死にし(三津刈屋口の戦い)、その後も毛利方が不利のまま関ヶ原での西軍敗北を受けて毛利軍は撤退、関ヶ原の戦いに乗じた河野氏再興はならなかった。

2009年04月25日

アッシリアの歴史

アッシリアの歴史は、主に言語の変化、即ちアッカド語北方方言であるアッシリア語の時代変化に基づいて4つに時期区分される。

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初期アッシリア時代は、基本的に文字史料の無い時代である。主に土器の様式の変化によって更に細かく区分されるが、政治史の復元はほぼ不可能と言って良い。末期になると僅かに、シュメール語やアッカド語による文字史料が現れる。後世のアッシリア社会の原型は、この頃既に形成されていたと考えられる。

古アッシリア時代は、アッシリア語が古アッシリア語と呼ばれる形であった時代で、主に紀元前1950年頃から紀元前15世紀頃までを指す。アッシリア商人や、シャムシ・アダド1世の台頭によって多くの文書史料が残り、アッシリアの政治史が初めて具体的に復元されうる時代である。便宜上アッシュール・ナディン・アヘ2世までを古アッシリア時代とされるが、イシュメ・ダガン1世以降のアッシリア史は史料の欠落によってほとんどわかっておらず、政治史的には別時代である。

中アッシリア時代は、アッシリア語が中アッシリア語と呼ばれる形に変化した時代で、紀元前14世紀初頭あたりから、紀元前10世紀の末頃までの時代を指す。アッシリアの君主達が、旧来の「アッシュールの副王」ではなく、「偉大な王、アッシリアの王」を称するなど、大国としてのアッシリアが台頭した時代である。

新アッシリア時代は、アッシリア語が新アッシリア語と呼ばれた形であった紀元前10世紀の末頃から、アッシリアの滅亡までの時代を指す。この時代アッシリアは、全オリエントを覆う世界帝国を打ち立てた。有名なアッシュールバニパル王の図書館が作られたのもこの時代である。なお、「アッシリア帝国」と「新アッシリア時代」は混同するべきではない。

初期アッシリア時代
紀元前2000年紀に入る前の初期アッシリアの歴史は、文献史料が殆ど残されておらず、専ら考古学的成果によってその流れを把握するに留まる。後世アッシリアと呼ばれる地方に人が居住し始めたのは極めて古い。アッシリア地方の最も早い時期の集落、アルパチア、ハッスナー等は紀元前6000年紀頃には形成され始めた。紀元前5000年紀半ば以降になると南部メソポタミアで発生したウバイド文化が北部メソポタミアにおいてもその全域に広がり、ニネヴェなどに大規模集落が形成されている。これは南部メソポタミアでの灌漑農業の拡大とそれによる人口増加、経済の発展に伴い、各種資源の需要が高まり、金属資源や木材。家畜類などの交易規模が増大した結果、概要にあるようなアッシリアの地理条件のために交易中継地として人々の移動が激しくなった影響で、南部メソポタミアの文化が北部メソポタミア全域にまで拡大したものと考えられる。その後のウルク期を経て、南部メソポタミアとは一線を画す独自の地方文化が形成されて行く事となる。

紀元前3000年紀半ば頃、後に神格化される都市、アッシュルへの最初の居住が始まった。同じ時期までにカルフ(ニムルド)やアルベラ(エルビル)など、アッシリアの中心的役割を果たす都市の基礎も形成されている。アッカド帝国の時代には既に都市国家として独自の政治体制が確立されていたと考えられる。アッカド帝国やウル第3王朝の時代にはその覇権下に置かれ、建築事業などの一部が文字記録として残されるようになる。アッカド・ウル第3王朝の時代と前後して、都市アッシュルの神格化が進み、政治的一体性を持った地方としてのアッシリアと、アッシリア社会の原型が形成された。そして、紀元前2000年頃、ウル第3王朝の滅亡と前後してアッシリアが歴史に登場する古アッシリア王国時代へと入っていく事となる。

2009年04月08日

ブラス・ロック

ブラス・ロック(brass rock)はロックのジャンルの一つ。ロックのアレンジを基調とし、ジャズの要素を加味してトランペットやトロンボーンなどの金管楽器(ブラス)を前面に押し出した音楽性が特徴。1960年代後半から1970年代前半に流行した。代表的なアーティストとしてシカゴ、ブラッド・スウェット&ティアーズ、チェイスが挙げられる。

概略 [編集]
1960年代後半、ロックのスタイルが多様化し、ロックとジャズの融合も試みられた中で、迫力のあるブラス・セクションを導入するロックバンドが現れる。ビッグバンドのような迫力と即興演奏の妙味はロックの世界に新しい要素を持ち込み、彼らの音楽はブラス・ロックと呼ばれた。

ポップスやソウル/R&Bのアレンジでは従来からブラスを用いることはよくあったが、あくまでも伴奏の一部という位置付けであり、またエレキギターをアレンジの主役とするロックの世界ではブラスは野暮ったいイメージが強く、積極的に用いられることは少なかった。

ブラス・ロックはブラスにもエレキギターと対等な存在感を持たせることで新鮮味を出すことに成功したが、先述した3つのバンド以外に後進は続かなかった。ブラス奏者のスターが現れなかったこと、多くのブラス奏者はクラシックかジャズの分野で活動し、ロックとは相容れない立場にあって人材が不足したこと、演奏主体の即興型のロックが退潮したことなどが原因に挙げられる。

主なアーティスト [編集]
シカゴ
ブラッド・スウェット&ティアーズ
アイズ・オブ・マーチ
チェイス
バッキンガムズ
タワー・オブ・パワー

あっさぶ スロン カーリー デブー ナックス デブリ タング バケツ スメア マンドリル シュテム アーム リッド ピエロ 南瓜 プラス シャンピ スタン ピッツァ いゆふぇく ライブラリー タジア ダンガ モック タイム クシン モッズ トリック ピンマイク 黒太陽 スナンサ ザニア パロール セージラ オーセン モービル ニシキギ ガスケット スラック ストック ジャガー リベンジ デカップ スペア キドニー ヤソウェ 上海慕情 イニシ きほく モラルレ

2009年03月25日

名鉄デワ10形電動貨車

デワ10形電動貨車(デワ10がたでんどうかしゃ)は、名古屋鉄道がかつて保有していた路面電車(電動貨車)。

2両(11・12)が存在し、岡崎市内線で運用された。

車体は木造。2軸車であった。ブレーキは手ブレーキと電気ブレーキの併用。

自動連結器を装備し、貨車の牽引にも使用されていた。


主要諸元 [編集]
全長:8,255mm
全幅:1,956mm
全高:3,799mm
自量:9.2t
電気方式:直流600V(架空電車線方式)
軸配置:B
台車形式:ブリル21-E
主電動機:SS-D-58(50PS)×2基
歯車比:5.11
制御方式:SS-OW
貨物積載量:5.0t

沿革 [編集]
1927年(昭和2年)、伊那電気鉄道松島工場で製造された[1]。発注は岡崎電気鉄道だあったが、同年4月16日に三河鉄道に合併。この電動貨車は1928年(昭和3年)に三河鉄道に納車され、三河鉄道デワ1形(1・2)となる。

1941年(昭和16年)6月1日、三河鉄道が名古屋鉄道に合併すると、デワ10形(11・12)に改番。引き続き岡崎市内線で運用され、戦後、運転台側面の窓を設置、前照灯の位置変更などの改造が行われる。
モンブラ こまひ レイク モミジ プルライフ 月の海峡 しおじ コメン フォール ショートケー ティーホル メーカー オートメ わかた ビーフ イザヤ ロストル フリース エイグ ススキ ヒーロー チフス シーズ レード サルト マンパ サイトむい パクチー せりか ゲート ちこり メナム ション ストッキン オフス イソップ シュボド マップ ノンフ スツール ハイパー ドミノ タシケ コダチア プレス バウンス スーパー リコリス ハラム ウチク

岡崎市内線の貨物輸送の他、日清紡績戸崎工場[2]への貨物輸送、国鉄や挙母線との貨車連絡を行っていたが、貨物取り扱いが廃止されると、資材運搬に従事していた。

1962年(昭和37年)、岡崎市内線の廃止とともに廃車[3] となる。

2009年03月09日

レンブラント・ファン・レイン

レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz. van Rijn 1606年7月15日-1669年10月4日)は17世紀を代表するオランダの画家。単にレンブラントと呼ばれることも多い。油彩だけでなく、エッチングや複合技法による銅版画やドローイングでも知られる。生涯を通じて数多くの自画像を描いたことでも知られる。自画像はその時々の彼の内面の変化まで伝えている。

かつてオランダの1000ギルダー紙幣にその肖像が描かれていた。

1606年ライデン生まれ。1631年アムステルダムに移る。『トゥルプ教授の解剖講義』(1632年)で名声を得る。『夜警』(1642年)も集団肖像画の傑作として知られる。
らんたい レタリング ゾンサワ ブルーフ リゲル ジューレ デリー きあおみ 千社札 マッタ ピーカン かつお菜 スリム ピアス ヤペテ チェンナイ 飛躍 マトリ ステップ オレゴン マーメイド スタート スピー しんとつ リュート ドラジェ ガッツ ベロッパー わくや トレイ ソリッド レイト ソーター シェーマ セオド ミント最適 カーンプル ミノロジー タイム たいわ スイッ ハンター スイート ランチコ スクープ シルヘット ヒュー ダート チャプレ ラッキ

私生活では最初の妻サスキア・ファン・オイレンブルフを早く亡くし(1642年)、愛人の女性から婚約不履行で訴えられるなど、トラブルが続いた。浪費癖もあったようで、多額の借金を抱えてやがて返済不能に陥る(1656年)。晩年は息子にも先立たれ、困窮のうちに亡くなった。遺体はアムステルダムの西教会に埋葬されている。また、レンブラント自身は色盲であったともいわれている。 

レンブラント工房
20世紀後半に研究が進み、かつてレンブラント作とされた作品の中に「工房作」のものが多く含まれていることがわかってきた。工房といっても、画家の下絵を弟子が仕上げていくといった分業体制ではなく、レンブラント工房の場合は、弟子がレンブラントの画風に従って制作しており、レンブラントが手を入れることはなかったようである。

弟子の一人にアールト・デ・ヘルデルがいる。

作品の特徴
作品の一点(ないし複数の点)に暗闇に鋭く差し込むような光線が当てられ、その部分を強調すると同時に暗闇の部分を逆に強調する手法が特徴である。そのため光の画家と呼ばれることもある。生き生きとしたドラマチックな描写が見るものを画面に引き込むかのような魅力がある。

レンブラント作品にはエッチングや素描作品に柔らかさのある和紙を使用したものがある。2007年に国立新美術館で和紙に印刷されたエッチングが展示された。

レンブラントの著名な作品として『夜警』(1642年)が挙げられる(画面が黒ずんでいることから夜の様子を描いたと考えられ付けられた名前だが、実際には左上から光が差し込んでおり昼の時間である)。この作品は『フランス・バニング・コック隊長の市警団』という題名であり、火縄銃手組合からの依頼で描かれた作品だったが、登場人物の各人が同じ金額を払ったが平等に描かれておらず、何も関係のない少女を目立たせたため物議をかもしたようである。この作品の後、レンブラントへの注文が激減したという。しかし、火縄銃手組合本部に掲げられた絵画の出来栄えは圧倒的であり、レンブラントの評価を高めた。

この作品は現在、アムステルダム国立美術館にあるが、1715年までは火縄銃手組合のホールにあった。その後、ダム広場の市役所に移されたが、非常に大きな絵であるため、壁に入りきらないとして周りをカットされてしまった。特に左側が大きく切られたが、その部分のいずれも残っていない。また、1980年代にアムステルダム国立美術館において暴漢によってナイフで切られたことがある。12ヶ所余りを切られたが、現在では修復されている。
自画像 (1629) アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)
Self-Portrait, age23(1629)イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館 - ISGM(ボストン)
テュルプ博士の解剖学講義(1632)マウリッツハイス美術館
ガラリヤの海の嵐 - Christ in the Storm on the Lake of Galilee (1633) ISGM(1990年3月に強奪された)
ベルシャザルの祝宴 (1635) ナショナルギャラリー (ロンドン)
ガニュメデスの誘拐 (1635) ドレスデン国立美術館
アブラハムの犠牲 (1635) エルミタージュ美術館
目を潰されるサムソン(1636)シュテーデル美術館 (フランクフルト)
夜警(フランス・バニング・コック隊長の市警団)- The Night Watch(The Militia Company of Captain Frans Banning Cocq)(1642) アムステルダム国立美術館
修道士に扮する息子ティトゥス (1660) アムステルダム国立美術館
広つば帽を被った男 (1635) 川村記念美術館
ティトゥスの肖像 (1660?62) ルーブル美術館

2009年02月20日

ザビ家(ザビけ、Zabi Family)

ザビ家(ザビけ、Zabi Family)は、「ガンダムシリーズ」のうち、アニメ『機動戦士ガンダム』にはじまる宇宙世紀を舞台にした作品に登場する、架空の人物の一族。ジオン公国の中枢を担う一族である。

ザビ家の人間は画面に登場した人物以外にも多数存在するとされるが、通常は以下の7人を指す。
わっしょい ダード オフコ 検索村祭 コーヒー ビザウェー マンボン カイモ ハイス レザーク スパイ ナイジェ ループ ファンベト 私が主役 デイラ ストライカー キシング クアハ ワンシ ハイソ メタフ ツーロン ワイキキ デリカシー メモリ セッショ メタノール マイカ タチバナ ストレート リポート ジャンダ トメーシ オブシデ メダル サージ グリース シーモス ロビイング ドライブ ルレット シェンド ツイード スーサ クロス わっさむ レーキ ニーム トーチャー

デギン・ソド・ザビ
Degwin Sodo Zabi
声:永井一郎(TV版)/ 藤本譲(劇場版I)/ 柴田秀勝(劇場版III・特別版I / III)
ジオン公国公王でギレンらの父。放映開始時の年齢は62歳。ジオン・ズム・ダイクンの死後ジオン共和国に公国制を敷き、絶対君主制を固めたが、その後実質的に隠居した状態になっていた。政治的には穏健派の立場を取り、急進的なギレンと対立する。乗艦はグワジン級戦艦1番艦グレート・デギン。(通常は量産1番艦がネームシップとなるが公式にも『グワジン級』が形式名称)

彼にはギレン(総帥、長男)、キシリア(長女)、サスロ(次男)、ドズル(三男)、ガルマ(四男)、の5人の子がいる(テレビ版の準備稿ではミハル・ザビという娘もいた)。妻はナルス(ナリスとする説あり)だが子の母親に関しては諸説ある。なお、サスロとナルスに関しては一年戦争前に死亡しているため『機動戦士ガンダム』には登場しない。

かつてはジオン・ダイクンと盟友関係にあり、0058年のジオン共和国宣言時には地球連邦軍駐留部隊の切り崩しに尽力した。また、連邦軍に対抗するために、共和国宣言時に成立したジオン国防隊を0062年にジオン共和国軍に昇格させ、軍事力の強化に努めた。このようなデギンの軍事路線はダイクンにとって認め難いことだったが、連邦へ対抗するために容認せざるを得なかった(なお、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』では、連邦政府との軍事衝突も辞さずという強硬な態度をとっていたのはむしろダイクンの方で、デギンは非戦派だったという新解釈が採られている)。

だが、0067年に連邦政府のコロニー自治権整備法案が廃案となると、両者の対立は強くなり、0068年にダイクンは急死してしまう。これはデギンとギレンによる暗殺とするのが一般的である。ジオン共和国初代首相だった病床のダイクンにより次期首相に指名され(これには、この先起こるであろうダイクン派とデギン派の抗争を避ける為に、後継者にデギンを指名したという説と、「自分を暗殺しようとしたのはデギンだ」と教えようとしたダイクンの行動をデギンが巧妙に利用したとの説がある)2代目首相となると、ダイクン派(旧ジオン派)を粛清して全権を掌握し、0069年8月15日に公国宣言を行い、ジオン公国初代公王に就任した。しかし、妻ナルスがガルマを生んだ際に死亡しており精神的な支えとなる存在がないこと、さらにはダイクン暗殺の報復として次男サスロが車に仕掛けられた爆弾テロにより暗殺(ジンバ・ラル謀略説、キシリア謀略説あり)されたことから、徐々に憔悴していく。また、ダイクンを打倒して頂点に立ってしまったことで功成り名を遂げた後の虚無感に襲われるようになり、全権を子供達に譲り政治的に隠居した状態になってしまった。その後ギレンは軍事独裁路線を推し進めるが、デギンはこれをよしと思わなかった。また、ギレンと政治的に対立し、彼と同じく強硬な独裁路線をとるキシリアのことも好ましく思っていなかったようである。

0079年1月3日、ジオン独立戦争、後の一年戦争が始まったが、デギンにとってこの戦争の目的はあくまでジオン公国を地球連邦と対等な関係の、完全な独立国家としての主権を連邦に認めさせることにあった。しかし、ギレンは当初これを認めていたものの、後に完全に地球連邦を征服した上での、選ばれた優良種たるジオン国民による全人類の管理・運営を目的とするようになった。そのためギレンにとって父デギンは次第に邪魔な存在になっていく。

上記のような経緯から、デギンは猛々しい性格のギレン・キシリア・ドズルを疎み、ガルマを溺愛していたが、ジオン独立戦争が予想外の長期にわたりガルマは地球で戦死してしまう。デギンはその一報を聞いた際に、持っていた杖を使者の前で取り落とすほどの衝撃を受けたと言われる。彼はガルマの密葬を望んだが、ギレンは国葬としてプロパガンダに利用し、両者は対立を深めていく。これ以降、デギンはギレンの独裁を抑えるため、ギレンとキシリアの政治的対立を防ぐために、首相のダルシア・バハロに命じ、密かに連邦との講和を図った。

その後、ソロモン陥落に際し三男ドズルまでも失うが、ガルマの死で涙も尽き果てていたのか「ドズルにしてもっともなことであるよ」と呟くのみだった。ギレンによる軍最優先政治が数百万人を超えるコロニー住民の強制疎開にまでエスカレートし、ソーラ・レイを使用した強引なア・バオア・クー最終決戦を目論んだ時点で亡国の危機感を強め、ギレンを中世紀の独裁者アドルフ・ヒットラーになぞらえ「ヒットラーの尻尾」と揶揄している。なお、この後の台詞がTV版では「ヒットラーは敗北したのだぞ」から、劇場版『めぐりあい宇宙編』では「ヒットラーは身内に殺されたのだぞ」と現代(20世紀末~21世紀初頭)の標準的な学説、歴史観とは食い違うものに改変されていたが、その後キシリアにギレンが暗殺されたことを考えると、この台詞はギレンの末路をより的確に言い表していたものといえよう。

ア・バオア・クーでの決戦の直前に至り、自ら和平交渉を進めるために独断で旗艦グレート・デギンに乗り込みレビルが率いる地球連邦軍の主力・第一艦隊との接触を図る。だが、自らの戦略に逆らう老いた父へ見切りをつけたギレンは、グレート・デギンの存在を承知の上でソーラ・レイの発射コースをゲル・ドルバ照準に最終設定する。宇宙世紀0079年12月30日作戦時間21:05、指示通りゲル・ドルバ照準で発射されたソーラ・レイの直撃を受け、デギンは敵将レビルと共に光の渦に呑み込まれて死亡。小説版ではソーラ・レイの標的として狙われたのがキシリアとなっており、既に傀儡と化していたデギンはギレンに存在を無視されていたのと自ら和平交渉に向かうような目立つアクションを起こさなかったことが幸いし、無事に生き残っている。

なお『THE ORIGIN』では、先述のようにデギンは戦争による膨大な犠牲や連邦とジオンの国力差を懸念して、開戦前より強硬に戦争に反対していたとの解釈が採られている。ルウム戦役後、デギンはレビル奪還作戦の手引きをし、恩を売る形で彼に和平を働きかけて欲しいと願ったが、そのレビルが帰還後に恩を仇で返す形で戦争継続の声明を出した(“ジオンに兵なし”の演説)ため、激しく憤っている。その憤怒は演説の中継を映すモニタのリモコンを叩き壊し、さらに「軍人にすべきではなかった」とまで思っていたガルマに対して「徹底的に連邦を叩け」と発言したほどだった。ちなみに、デギンの容貌は、TV版当初は下膨れだったが、ORIGIN版では細面気味で鼻が大きく描かれるようになった。

ゲーム『ギレンの野望』においてはジオン編の全モード(ジオン公国、正統ジオン、新生ジオン、ネオジオン、アクシズ)をクリアすると特別編として「デギンの憂鬱」というシナリオを体験できる。これはザビ家の内輪もめ、より封建国家という世界を強調した「お家騒動」のストーリーであり、キシリアの正統ジオン、ガルマ・ドズルの新生ジオンにジオン軍が別れて三つ巴の戦いを繰り広げるという設定になっており、まさに父親のデギンが存命なら間違いなく頭を抱えるシナリオと呼べる出来栄えとなっている(デギン自身は登場しない)。

en:Degwin Sodo Zabi

ギレン・ザビ
Gihren Zabi
声:田中崇(現:銀河万丈)
ジオン公国の総帥にして階級は大将。デギンの長男。放映開始時の設定上の年齢は35歳。身長190cmの長身。少年時代から政治活動に参加し、デギンの隠退後は、ジオン公国の実質的最高指導者(総帥)となっていた。ガンダムの世界において彼の唱えた政治思想や世界観は巨大な影響力を持ち、次世代にまで波及していった。乗艦は不明(グワジン級戦艦グワデン説あり。ただしグワランなどにも坐乗していたことがあるらしい)。

青年時代に父デギンと共に、ジオン・ダイクンの指導する革命運動に参加。デギンの隠退後は、ジオン公国の全権を掌握し事実上の最高指導者として君臨する。IQ240の天才で沈着冷静であるが、非情かつ高慢な性格。宇宙世紀0071年にサイド3国民の優秀さを讃え、彼らが選ばれたエリートであるとする選民思想の色合いが強い著書「優性人類生存説」を発表。アースノイドやスペースノイドの大多数には非難されたが、連邦政府の政策に強い不満を持っているサイド3国民からは熱狂的支持を受けた。雄弁家でもあり、アジテーターとしても超一流で、持てる才能を遺憾なく発揮していた。デギンの反対を押し切り、国民の戦意高揚のために末弟ガルマの国葬を利用したところにもそれが現われている。ニュータイプについてはそれほど深い理解や共感を持つことは無く、あくまで政略・戦略のために「木星帰りの男」シャリア・ブルなどを起用したに留まる。戦争をジオンの勝利に終わらせた後、自らが地球圏を管理・運営しながらゆっくり人類のニュータイプへの覚醒を待つつもりでいると語っている。

彼の政治思想は、一種の理想主義、選民思想である。スペースノイドは選ばれた民であり、更にその中の優良種がジオン国民であると主張し、国民を煽動した。ギレンは総帥という立場から主に政治に専念することが多く、軍事については弟ドズル・妹キシリアに任せていた。しかし一年戦争開戦当初の電撃作戦や地球侵攻作戦、ア・バオア・クー攻防戦の発案者はギレンであり、その指揮も直接ギレンが執った。一年戦争初期には、サイド3(ジオン公国)以外のスペースコロニーに対する毒ガス攻撃を行い、さらにそのコロニー自体を質量兵器として地上に落下させる「ブリティッシュ作戦」により、地球圏総人口の半数を死に追いやった。このような大量虐殺作戦の背景には、地球環境の保全には選ばれた民による支配が必要であり、増えすぎた人口は調節されなければならないという思想がある。地球圏は選ばれた民により支配されなければならないとする考えは、後のティターンズ指導者ジャミトフ・ハイマンなどにも多大な影響を及ぼしている。しかし、彼に匹敵するスケールの政治ビジョンやカリスマ性を兼ね備えた指導者はその後現れていない(敢えて挙げるなら、皮肉にもネオジオン時代のシャアがそれに相当すると言える)。

デギンからは、「ヒットラーの尻尾」と評され、その急進性を危惧されていた。また、妹のキシリアとは政治的に競合する立場にあり、反目し合っていた。尤も、ギレンは自らの才能と政治思想に絶対の自信を持っており、キシリアなど歯牙にもかけていなかった。彼女が裏であれこれ画策するのを半ば放置していたのも、軽視の表れであろう。

一年戦争末期ア・バオア・クーにおいて連邦軍との最終決戦を目論むが、デギンは事態を憂慮し独断でグレート・デギンに座乗して連邦軍との和平交渉に赴く。自らの戦略に従わない老いた父を完全に見限ったギレンは、グレート・デギンの進路こそレビルが率いる連邦軍の主力・第一艦隊の進攻コースと読む。そして和平交渉が始まる前に事を決しようと、予定を大幅に前倒ししてソーラ・レイをゲル・ドルバ照準に最終設定し作戦時間21:05に発射を指令、レビル将軍もろとも父デギンまでも謀殺した。しかし、ゲル・ドルバ線上からグレート・デギンの識別信号が確認されたとの報告を受け、ギレンが父を殺したと知ったキシリアにより、宇宙世紀0079年12月31日、「父殺しの男」としてア・バオア・クー攻略戦の作戦指揮中に射殺された。この際もキシリアに無防備に背中を見せ、銃口を向けられても「冗談はよせ」と一笑に付していたが、その余裕の姿勢が仇となった。以上の、言うなれば「お家騒動」は敗戦の要因の一つとなった。

なお、小説版では最終決戦時に宇宙要塞ア・バオア・クーではなく、サイド3のズム・シティで作戦指揮を執っている。ア・バオア・クーを囮にして、味方をも巻き込みつつマハルのソーラ・レイを放って政敵キシリアをも亡き者にせんとするなどTV版を超える極悪ぶりが目立っていた。最期はシャアやカイらニュータイプを引き連れたキシリアにズム・シティへ乗り込まれ、彼女の「ビーム・ライフル」で射殺される。

「トミノメモ」に於いてはグラナダ陥落後、キシリアの死後も生き続け、正面から連邦軍との戦いに臨んでいる。シャアの正体を知っても抹殺せず、使える限りは戦力と認める鷹揚さを見せている。積極的にニュータイプを前線に送り出しているのもTV版とは異なる。

その死後も、彼の思想を熱烈に信奉する集団によって動乱は続いた。宇宙世紀0083年には、エギーユ・デラーズ率いるジオン軍残党勢力デラーズ・フリートが決起し、コンペイトウ(ソロモン)宙域で挙行された観艦式の核兵器による襲撃に続いて北米へのコロニー落とし(星の屑作戦)を決行した(『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』)。また、0088年の第一次ネオ・ジオン抗争においては、ネオ・ジオン(アクシズ)勢力内のグレミー・トトがギレンのクローンを名乗っている。(『機動戦士ガンダムΖΖ』)

なお、女性関係は希薄だったらしい。妻がいたとされるが不仲だったといい、公の場には姿を現しておらず、記録も全く残っていない。小説版では秘書のセシリア・アイリーンと愛人関係であるとされている。なお、クラウレ・ハモンとも愛人関係にあったとする説もあるが、これは小説版から来た設定である。趣味嗜好については、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の「シャア・セイラ編」にて高所鋏を手に庭園の手入れを行っているシーンがある。

膨大な人命を奪った一年戦争を引き起こし、国民を巧みな弁舌で扇動した事でアドルフ・ヒトラーと並ぶ独裁者と称されている。監督である富野はアフレコの際に声優の田中崇(銀河万丈)へ「ヒトラーのように喋ってくれ」と注文をつけたというので、ヒトラーをモデルに描いたのはほぼ確実であろう(もっとも父デギンの言葉である「ヒットラーの尻尾のようなもの」には、「ギレンはヒトラーにはなりきれない」というニュアンスも感じさせる)。「ぴあMOOK 愛と戦いのロボット 完全保存版」に掲載された読者アンケートにおける「一番極悪な悪役・敵役は?」の項目で、ダントツの1位に選ばれている。尤もこの結果には『機動戦士ガンダム』という作品自体の知名度が大きく影響してはいるが、いずれにせよ、ギレンが日本のアニメを代表する悪役スターの一人である事は確かである。またゲーム『機動戦士ガンダム ギレンの野望』シリーズでその名をタイトルに冠されている事実からも人気の程が窺える。

因みに、TV版のリアルタイム放送時にはザビ家一党の中で唯一人だけ安彦良和作画の回に登場していない上に、出番は序盤と終盤のみということで単なる悪役キャラの域を出ず、当時のシャア人気に比べれば突出した人気は無かった。今日のカリスマ的悪役としての人気を確立しえたのは、ひとえに劇場版3部作(第1作と第3作)の影響である。

なお、彼がガルマ国葬やア・バオア・クー防衛戦時の演説で、国民・将兵・信奉者を鼓舞する為に叫んだ言葉「ジーク・ジオン(Sieg Zeon)」は、かつてヒトラー率いるナチスのスローガンだった「ジークハイル(Sieg Heil:ドイツ語で「勝利万歳」の意)」に因んだ物である。特にガルマ国葬での演説は劇中でも屈指の名シーンの一つで、彼の人気の一因となっている。OVA『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』第1話のラストにおいても(新規作画・銀河万丈による新録で)挿入され、話題を集めた。さらに、OVA『機動戦士ガンダム MS IGLOO』でも、上記のア・バオア・クー防衛戦時の演説で声のみ出演した(同じく新録)。

キシリア・ザビ
Kycilia Zabi
声:小山茉美(旧:小山まみ)
ジオン公国軍突撃機動軍司令で階級は少将。デギンの長女。年齢は29?34歳(小説版では24歳)。

ギレンとは政治的に、ドズルとは軍事的に対立していた。乗艦はグワジン級戦艦グワジンあるいはグワリブ。末弟のガルマに対しては自分への忠誠心を持つようにある程度優しく接して利用していたようでもある。常に顔の下半分を覆うマスクをしている(公式には放射能焼けを防ぐため)が、その理由は戦場の血の臭いを嫌悪しているからだとも、女を捨てたからだとも言われている。兄ギレン同様、家族を始めとする他者を政治的な力関係でしか判断しない冷徹な人物と見られるが、少なくともガルマの葬儀に中々出ようとしないデギンに労わりの言葉をかけ、ギレンが父デギンを暗殺したことを知った際に見せた怒りは演技ではないと思われる。その点では、ギレンよりは多少人間性の強い側面を持っていると言える。もっとも、父を大切に思う娘の気持ちはしっかりと伝わっていたとは言いがたく、デギンはギレンに対する忠告を行なった際に「キシリアは何を考えるのか」と未来への危惧を一人ごちている。なお、腰だめ撃ち用のレーザーガンは彼女とシャア以外には装備を確認された人物はいない。将官で普段からヘルメットを着用しているのも例を見ないいでたちである。

漫画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』では、手袋が白から黒に変るなど若干の変更が成されている。ジオン黎明期から政争に明け暮れた冷酷な野心家としての面が目立っており、それ故に成された行動には枚挙に暇がない(この時点ではギレンはほとんど目立った行動を取っていない)。 例えば、次兄サスロの暗殺については作中では明記されていないが、サスロ死亡時に慌てた様子がなく、彼女が些細な諍いからサスロを暗殺した犯人である可能性が示唆されている。また、キャスバルを暗殺するために、多数の乗客の乗る宇宙船をテロか事故に見せかけて爆破している。なお、キャスバルは自分によく似た友人シャア・アズナブルとすり替わって難を逃れた。 また、10歳にしてダイクンの後継者として毅然とした態度を見せたキャスバルに畏れを抱き、一方で後に成長した彼のジオン入国を察知して暗殺命令を出した際には、「無名で朽ち果るつもりなら生かしておいた物を」と自身に言い訳するかの様な独白を発しており、畏れながらもキャスバルに惹かれる所があった事を伺わせている。「シャア・セイラ編」では髪が短く両側に跳ね上がっているなど容姿が若干異なっており、マスクを着用しておらず、ギレンにもへりくだる態度を見せていたが、「ルウム編」ではアニメ版のスタイルになっており、ギレンに対して平然と言い返すなど恐れをみせなくなった。一方ではアニメ版よりもデギンを敬愛している姿が強調されており、ルウム戦役後にデギンから「いざという時はギレンを止めてくれ」と嘆願されている。

若くして政治に目覚めており、長兄ギレンに対抗するため軍事力や政治ルートなどを独力で確立する必要があったが、これは正攻法では困難だった。そのためか、モビルスーツやニュータイプなど新しいものに目をつける傾向が見られる。大佐時代の宇宙世紀0078年10月には、モビルスーツ戦の利点を説いて宇宙艦隊を重視していた三男ドズルと対立し、両者とも自説が容れられなければ軍籍を離脱するとまで発言している。結局ギレンの調停により、ジオン公国軍はドズルの指揮する宇宙攻撃軍とキシリアの指揮する教導機動大隊をベースとした突撃機動軍に分裂することとなった。なお、一年戦争中にも戦略海洋諜報部隊の本拠となるキャリフォルニアベースの取り扱いについてドズルと対立。ドロス級大型輸送空母ドロワ(ただし未完成)を譲ることでドズルの譲歩を得ている。

長兄ギレンと政治的に反目する過程で、自己の政治勢力を拡大することに腐心していった。月の裏側、グラナダ基地を根拠地とし、末弟ガルマ・ザビ麾下の北米方面軍によって北米大陸を押さえる一方、そのガルマの死を怒るドズルによって左遷されたシャアを登用してマッドアングラー隊(大西洋潜水艦隊)を預けたり、腹心マ・クベ大佐を地球に派遣して中央アジア(オデッサ)を中心に鉱物資源を採掘させるなどした。サイド6の中立化政策も彼女の発案とされている[要出典]。ニュータイプに対しても一定の理解があり、フラナガン機関を創設した。とはいえ、これはニュータイプの概念を理解したというよりも、兄ギレンに対抗する政治的発言力を強化するための手段としか考えていなかったようである(少なくともシャアはそのように考えていたようであり、この点では彼女はギレンと変わりはない)。

シャアとは、彼がダイクンの息子キャスバルだった時に「幼い頃に遊んでやった」間柄でもあり、後にその正体を見破るが、彼の目的がザビ家打倒からジオニズム実現へと移行しているとの言質を取った上で、逆に自分の懐刀として使うことを伝えている。彼女が「シャア=キャスバル」であることを悟った際の心理は小説版で詳細に描写されており、劇場版もこれに準じている。幼いキャスバルの聡明さを愛していたせいか、その正体を知りながらもシャアに対する信頼は篤く、政治的計算の他にも期待するところが大きかったようである。

宇宙世紀0079年12月31日、長兄ギレンが父デギンを謀殺したことを知り、これを機に宇宙要塞ア・バオア・クーの戦いの最中に司令部でギレンを射殺。兄に代わって総司令となるが、皮肉にも戦況はこの暗殺による指揮系統の一時的な混乱を契機としてジオン軍の敗色が濃厚となる。

戦局が絶望的となった時点で、司令部のトワニング大佐(若しくは准将、少将説もあり)に事後処理を任せ、ザンジバル級機動巡洋艦(艦名はズワメルとする説がある)で脱出を図るが、発進寸前にシャアがブリッジに向けて放ったバズーカの直撃によって死亡。なお、艦も出港と同時にサラミスの砲撃で撃沈しており、どの道脱出は不可能だった可能性も高い。最期の瞬間、自分に砲口を向けるシャアを確認した時の表情は驚愕に充ちたものだった。これはこのとき、彼女はシャアが搭乗していたMSジオングからの識別信号が途絶した報告をされており、シャアを戦死したものと思っていたこともあるだろう。

一年戦争終結当時、キシリアの死をもってザビ家の血筋は絶えたと思われたため、ザビ家とジオン公国は完全に崩壊したと見られた。

小説版では、ランバ・ラルとハモンから受けた警告に従ってア・バオア・クーの宙域を直ちに離脱したことにより、ギレンが連邦軍とキシリアを同時に屠ろうとしたソーラ・レイの直撃を辛くも逃れている。その後怒りに燃えてシャアやカイたちペガサスクルーと共にズム・シティへ乗り込み、追い詰めたギレンをシャア専用リック・ドムの掌上から「ビーム・ライフル」で射殺。しかし、直後にシャアが文字通りリック・ドムの「掌を返し」たため、地上に墜落死するという最期を遂げている。なお、小説版では彼女自身にもニュータイプの素養があったとされている。

トミノメモにおいては、ギレンを排除する暇もなくグラナダで連邦軍と交戦、自らも宇宙用アッザムでシャアとともに前線に出るものの敗北、シャアに刺殺されて生涯を閉じる。TV版と同じくシャアの正体を見抜いていたため、覚悟して彼に討たれた。

ゲーム『ギレンの野望』では、彼女を指導者とした「正統ジオン」をプレイすることが可能。ニュータイプに積極的に興味を示していた劇中の設定が反映され、ニュータイプのパイロットたちを最初から使用できる。

沖一の漫画『ガンダムパイロット列伝 蒼穹の勇者達』でのジョニー・ライデンを主役にした漫画では、ライデンが少女時代のキシリアに助けてもらったことがあり、彼がジオン軍パイロットに志願するきっかけになった憧れの女性だったように描かれている。こうしたストーリーの性格上、キシリアの容貌は従来のTVシリーズや安彦良和の漫画『THE ORIGIN』のようなきつい年増風の顔ではなく、マスクをした美女のように描かれていた。

24歳という設定は小説版のみだが、その外見からガンダム関係の漫画ではしばしば年増呼ばわりされるネタとなっている。

なお、兄弟としてキシリアとドズルのどちらが上なのかは、解釈が分かれる。「ソロモン攻略戦」で、ドズルがゼナに対して言っている「姉上のいる、グラナダに行くがいい」という台詞の「姉上」をキシリアのことと判断しているファンが多い。しかし同じ回でドズルはグラナダへの援軍要請を進言した部下に対して「キシリアへか?国中の笑いものになるわ」と答えており、明らかに「キシリアを目下」としてみている。つまり、ここで言う「姉上」とは「ゼナの姉」であって、キシリアではないとする説もある。ただし、軍人としてはドズルが中将、キシリアが少将とドズルの方が上であることから、やはりキシリアが姉で、前述の台詞はドズルが軍人的な対立と家族的な繋がりを混同しない事を示している、という解釈もある。マ・クベ大佐がゼナおよびミネバを保護していることから考えても、「姉上」は「キシリア」とすることが妥当とする意見もある。

2009年02月04日

三浦(みうら)氏は、平安時代の相模国の武家

三浦(みうら)氏は、平安時代の相模国の武家。
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桓武平氏良文流の家系で、坂東平氏の一つである。太田亮は三浦氏は古代から三浦半島に勢力を持った在地豪族で、平姓は僭称だと主張している。千葉氏が執筆した『源平闘諍録』では、平将門の乱で常陸国の信太島に配流された良文の子の駿河守忠光が三浦青雲介の婿になり三浦氏が始まったといい、桓武平氏説と在地豪族説を折衷した形を採っている。 良文の曾孫である忠通(別説として忠光)の代に初めて三浦の苗字を名乗ったとされる。その子の為通は前九年の役で武功を挙げ、源頼義から相模国三浦の領地を与えられる。ただし、為通については数種類現存する家系図の中には記載されていないものもあり、その他信頼性が低い史料にしか見られないことから実在を疑う説も強い。 三浦氏の動向が比較的明らかになるのは、為通の息子の為継からである。為継は後三年の役に従事して功を立て(この合戦中の、鎌倉権五郎景正との遣り取りは余りにも有名)、三浦氏発展の礎を築いた。為継以降の系図はほとんど差異がないが、三浦氏は寧ろ為継を初代と見做していたそうである(『吾妻鏡』には、和田合戦直前に北条氏に寝返った三浦義村・胤義兄弟が、為継のことを「嚢祖」と言う台詞が記載されている)。 なお、為通と為継の間に為直(為名)を置く系図も存在する(『桓武平氏系図(群書類従)』)。 その後、相模の有力在庁官人として「三浦介」を称する。相模東半分と安房に勢力を振るう。

三浦義明・義澄は保元の乱・平治の乱で源義朝に従う。平治の乱では義朝が敗れ、三浦一族は戦線離脱に成功し、京都から落ち延び帰国する。その後、自領で雌伏していたが、大番役の行き帰りに源頼朝の配所を訪ねるなど、源氏との繋がりを保った。

治承4年(1180年)、頼朝の挙兵に応じて、三浦一族は挙兵する。石橋山の戦いで敗れた頼朝を安房に逃したのも三浦一族の功績である。義澄は千葉常胤・上総広常・土肥実平らと共に頼朝の宿老となった。この時、一族である和田義盛も侍所別当職に就いている。

その後も三浦氏は頼朝に従い平氏追討・奥州合戦に参戦し、武功を挙げる。頼朝の死後は十三人の合議制のメンバーに義澄・和田義盛が入るなど、鎌倉幕府内で大きな権力を持っていた。

この後、北条氏による他氏排斥運動が起こり、和田義盛は建暦3年(1213年)の和田合戦で滅ぼされた。三浦本家は義村が評定衆に選出されるなど、変わらず権力を維持していたが、宝治元年(1247年)の宝治合戦で北条氏に滅亡させられた。

その後、傍流の佐原氏の三浦盛時により再興され、戦国大名の相模三浦氏となるのである。

三浦党の諸派形成
三浦氏は、為通・為継・義継・義明・義澄・義村の6代に渡って一族を形成した。それを以下に記す。

為通流
為通の次男・為俊の息子である為景は安西氏を称した。また、為俊の養子である公俊は宮沢氏の祖となった。

為継流
為継の三男・通継は平子氏を称して周防三浦氏の祖となり、四男・景継は安西氏の養子となった。

義継流
義継の嫡男・義明は三浦介と号し、次男の義行は津久井氏と称した。三男の為清は蘆名氏を称しているが、孫の石田為久は木曾義仲を討ち取っている。四男の義実は岡崎氏を称し、その嫡子・佐奈田義忠は石橋山の戦いで討ち死にし、次男の義清は土屋氏の養子となっている。

義明流
義明の長男・義宗は家を継げなかったようで、杉本氏を称し、その息子・義盛は和田氏を称した。家督は次男の義澄が継いだ。三男の義久は大多和氏を称した。四男の義春は多々良氏を称し、その息子・家村は佐久間氏を称した。五男の義季は長井氏を、六男の義行は杜氏を称した。十男の義連は佐原氏を称したが、宝治合戦で本家が滅んだ後は、この家系が嫡流となった。また、猪苗代氏、比田氏、藤倉氏、会津氏、新宮氏等、奥州で栄えた子孫もいる。

義澄流
兄の杉本義宗に代わって家督を相続した義澄であるが、義澄自身は矢部次郎とも荒次郎とも号したそうである。義澄の跡は長子の義村が継いだが、義村の弟である有綱・重澄は、それぞれ山口氏、大河戸氏を称した。

義村流
義村の長男である朝村の末裔が今川氏の家臣である駿河三浦氏であると言う。また、四男である家村の末裔と言う家次が江戸時代に時の将軍徳川家光に仕えて若年寄となり、正次の時に下総国矢作藩で大名に列し、明次の代に美作勝山藩に封じられ廃藩置県を迎えた。三浦氏の家督は次男の泰村が継いだが、泰村の長男である景村は若狭氏を、次男である景泰は沼田氏を称したと言う。

三浦党の人物
三浦忠通
三浦為通
三浦為継
三浦義明
三浦義澄
三浦義村
三浦泰村
三浦光村
杉本義宗
岡崎義実
佐原義連

一族
安西氏
宮沢氏
平子氏
津久井氏
矢部氏
平塚氏
秋庭氏
二宮氏
若狭氏
蘆名氏
石田氏
木曾氏
岡崎氏
佐奈田氏
土屋氏
杉本氏
和田氏
大多和氏
多々良氏
佐久間氏
長井氏
杜氏
佐原氏
正木氏
荒氏
山口氏
大河戸氏
沼田氏

系図
 桓武天皇
   ┃
 葛原親王
   ┣━━━┓
  高見王? 高棟王(平高棟)
   ┃
  高望王(平高望)
   ┣━━━┳━━━┓
  平良文 平国香 平良将
   ┃
  忠光
   ┃
  忠通
   ┃
 三浦為通
   ┣━━━┳━━━┓
  為継  為直  為俊
   ┃       ?━━━┓
   ┃       公俊 安西為景
   ┃       ┣━━━━┓
   ┃       宗俊 三浦太郎公義
   ┃       ┃
   ┃       為国
   ┃       ┃
   ┃       国俊
   ┃       ┃
   ┃      宮沢為基   
   ┣━━━━┳━━━━┓
 三浦義継 平子通継 安西景継
   ┣━━━━━━┳━━━━━━━━━━┳━━━━━┓
 三浦義明   岡崎義実       津久井義行  蘆名為清
   ┃      ┣━━━━━┓    ┃     ┃
   ┃    佐奈田義忠  土屋義清 矢部為行  蘆名為景
   ┃                       ┃
   ┃                      石田為久
   ┣━━━━┳━━━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓
  杜重行  佐原義連  多々良義春 三浦義澄 大多和義久  長井義季           杉本義宗
        ┃     ┃    ┣━━━━┳━━━━━┳━━━━┳━━━━┓    ┃
       盛連   佐久間家村 三浦義村 山口有綱  大河戸重澄 三浦胤義 三浦友澄 和田義盛                  
        ┃          ┃               ┣━━┓
      三浦盛時         ┃               胤連 兼義
   ┏━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳┻━┳━━┓
  泰村 資村 家村 朝村 胤村 長村 光村 良胤      
   ┃        ┣━━┳━━┓
   ┃        氏村 朝氏 員村
   ┣━━┳━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
  景村 景泰 駒孫丸 駒鶴丸 駒在丸 有駒丸 駒若丸 駒増丸 皆駒丸

2009年01月21日

ラクロス(Lacrosse)

ラクロス(Lacrosse)とは、球技の一種。クロスと呼ばれる先に網の付いたスティックを用いて、直径6cm・重さ150gの硬質ゴム製のボールを奪い合い、相手陣のゴールに入れることで得点を競う。カナダの国技となっている。男子と女子ではその他のルールが著しく異なり、また用具も異なっている。

ラクロスの起源は17世紀で、北米のネイティブ・アメリカン達が、自分たちの神との繋がりを深める儀式の一環として行っていたものである。これは各チームが1,000人以上になることもあり、ゴールとゴールの距離は短くて500ヤード、長いときには数マイルにも及ぶ広大なフィールドで、戦闘や狩りに必要な耐久力、勇気を養うためのものだったと言われる。

これをフランス系の移民が発見し、スポーツ化した。ネイティブ・アメリカンたちが使用していた道具が僧侶の持つ杖(crosse)に似ていたことから、ラクロス(La-Crosse)と呼ぶようになった。

現在は1チーム男子10人・女子12人で、約100m×55mの競技フィールドで行われる。ゴールは183cm四方の正方形で、アイスホッケーと同様にゴールの裏もフィールドとして使うことができる。

プレーヤーにはアタック(AT)、ディフェンス(DF)、ミッドフィールダー(MF、ミディとも呼ばれる)などの役割分担があり、ゴールを守る選手はゴーリー(G)と呼ばれる。

クロスの先についた網(ポケット)の中でボールを揺すり、遠心力を利用して保持するラクロスに特有の動作のことをクレードルと呼ぶ。

世界的な競技人口は約60万人、日本では男女合わせて約25,000人とされる。4年に一度、男女それぞれワールドカップが開催される
男子では、金属製のクロス、ヘルメット、ショルダー(肩及び胸部の防具)、エルボー/グローブ(腕部の防具)を用いる。トッププレイヤーのシュートは160km/hを超えることから、“地上最速の格闘球技”と呼ばれている。

1チーム10人で、アタック3人、ミッドフィールダー3人、ディフェンス3人、ゴーリー1人。そのうちオフェンス時は6人、ディフェンス時はゴーリーを含め7人で守らなければならず、残りのプレーヤーはハーフラインを超えることが出来ない(オフサイドルール)。

フィールドの大きさは100.6m×54.8m。ゴールの周りにはクリースと呼ばれる2.74mの円があり、オフェンスはクリースの中に入ってはいけないというルールがある。

1試合は20分×4クォーター。

クロスを用いて相手にプレッシャーをかけてもよく、アメリカンフットボールやアイスホッケーに似ている。ボールを保持している選手のグローブやクロスを叩くこと、タックルすることは可能。また、ルーズボール時にボールから半径3ヤード以内にいるプレーヤーに対しては、タックルが許されている。

ボールがフィールドの外に出た場合(アウトオブバウンズ)、通常は出したチームの敵方に渡されるが、シュートの場合は、ボールが出たときにボールに一番近かったプレーヤーのチームに渡される。そのため選手たちはシュートを外した後もボールを激しく追う。これをチェイスと呼ぶ。以前はシュート以外のアウトオブバウンズでも、ボールが出たときにボールに一番近かったプレーヤーのチームのボールとなっていたが、ルール変更により、よりわかりやすくなった。

選手の交代はフライと呼ばれ、交代エリアを使い何回でも交代は可能。フィールド内を全力疾走で駆け回るミッドフィールダーは2-3分おきにフライすることも多い。

選手が扱うクロスはポジションによって異なり、アタックやミッドフィールダーは動きやすさやクロスの振りの速さを重視して約1mのショートクロス、ディフェンダーは約1.8mのロングクロス、ゴーリーは網の部分が大きいゴーリークロスを使う。ディフェンス力強化のため、一部のミッドフィールダーがロングクロスを持つことも多く、ロングミディ(LMF)と呼ばれる。なお、試合中フィールド内でロングクロスを持つことが出来るのは4人まで。
シントニア タコス オイル マヤ吉 ケルン ミーハー ボタン たこいと デュアル アルル ライン アクサ ビー玉 ロコモコ ライフ テナー クチル トッププ ナズナ ロベニア シタニア キング ブルー レンド ハファダ シリア マリンホス タイトス リテール シラー カノープス きねづか ブダペ スノーグ チョウゲ フルタイ モミジ デブリ ブラッシ 深海魚 シルバー ビーテ トライ サイキック ブレッツ プルーフ すいか くもり ダッジ ミーア

試合中にファールが起きた場合は「エキストラ・マンダウン(マンアップ)」が発生する。ファールによってペナルティを課せられた選手が一時的に退場してゲームが再開されるシステムで、ペナルティを課せられたチームはペナルティが解除されるまでは相手よりも少ない人数でプレーすることになる。ペナルティによって人数が少なくなっている状態を「マンダウン」、相手のペナルティによって数的に有利になっている状態を「エキストラ」という。

ファールは大きく2つに分けられ、テクニカルファール(軽度のファール)とパーソナルファール(重度のファール)で課せられるペナルティタイムが変わる。テクニカルファールは、ルーズボール時もしくは味方がポゼッション(ボールをキープしている状態)している時に犯した場合は相手にポゼッションを譲るのみだが、相手がポゼッションしている時に犯してしまうと30秒のマンダウンとなる。パーソナルファールはいかなる状況であろうと1-3分のマンダウンとなる。ペナルティタイムはファールの種類、審判の判断により決まる。テクニカルファールは得点時に解除されるが、パーソナルファールは引き続き試合再開後も継続となる。

また、ファールが起きた場合でもファールを受けた側がボールを落とさない限り、審判はイエローフラッグ(黄色のハンカチ)を投げてファールが生じた事を知らせるのみでプレーを続行させる。これをスローホイッスルと言う。ボールが落ちた時に試合を止め「エキストラ・マンダウン(マンアップ)」へと移行する。

2009年01月14日

魔法遣いに大切なこと

もともとこの作品は原作者である山田典枝が城戸賞へ応募するために執筆したものが基となっている。(実写映画版公式サイト内のインタビューにて本人談)

この脚本自体は市販されているわけではないので、原作というよりは“原典”といえる。

この脚本を元に、よしづきくみちの作画による最初のシリーズ『Someday's dreamers』の漫画が富士見書房『月刊コミックドラゴン』で、2002年12月号まで全7話連載された。岩手県遠野に住む魔法遣い(魔法使いではない)の主人公が魔法労務士免許(基本設定の項を参照)取得研修を受けるため上京し、研修中に出会う人々と触れ合うことで成長する姿を描く。

この漫画を元に連続テレビアニメ版とアニメ版を基にした小説も発表されている。詳細はテレビアニメ第1作とテレビアニメ第2作および小説の項を参照のこと。

2004年、同世界観を基に、舞台を長崎に移し、登場人物を一新した新シリーズ『太陽と風の坂道』の漫画が発表された。“Someday's dreamers”の主人公・菊池ユメも登場している。

2007年、実写映画版の製作を発表。2008年12月20日に公開され、2009年正月より順次公開予定。詳細は実写映画版の項を参照の事。

2008年、テレビアニメ版第2弾『魔法遣いに大切なこと 〜夏のソラ〜』を発表。映画公開に先駆け、同年7月より放送された。

世界観
魔法が幻想でなく当たり前に存在し、一種の特殊技能として認知されている世界の現代日本。この世界では魔法能力者は国家により監理されており、規定の研修を受け「魔法士」の資格を有しなければならない事になっている。また魔法の使用に関しては魔法士を監理する『総務省魔法局』の承認を得た依頼者からの依頼に基づかなければなければならないなど、厳しく制限されている。

この様な世界において、魔法を使える少女たちが様々な人々と出会い、成長していく姿を描いていく。

ただし、「魔法局が魔法能力保有者をきちんと管理できているのか」という点については疑問を呈する声もある。SF作家でと学会の会長でもある山本弘はSF解説本『トンデモ本? 違う、SFだ! RETURNS』の中で、主人公が単に親切にされただけの通りすがりの人にお礼として魔法で本物と見分けの付かない大量の札束を出して渡したり、別の登場人物が東京タワーを魔法で折り曲げるなど、社会に多大な影響を与えかねない魔法が無造作に使われているシーンがいくつもあることから「魔法による犯罪をどうやって防いでいるのかわからん」と世界設定のつじつまが合わないことを指摘し、作者が作品世界内の整合性を細かく考えていないパラレルワールドSFの具体例としている。

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